「ところで、あなたは普段はなにをなさっているの?」
ある喫茶店で取材を頼んだとき、それを断った後、店主は私に聞いた。
「はい、ステージで歌って踊ったりしています」
「そうですか。どんなジャンルの音楽?」
―Jpop? アイドル? いや、違うな、ロック? ロックかな。
「ロックっていうんでしょうか……」
ロック、という言葉を聞いた瞬間、店主は露骨に顔をしかめた。
「私はそんなものは聴かないんですよ」
そこで何かのいたずらのように偶然、店内に流れる美しいクラシック音楽の音色が途切れた。
店主は、私を避けるようにして、カウンターから降りてきて、レコードを変えに向かった。
言葉にこそ出さなかったが、いきなり「取材をできないか」と頼み込んだ自分に対する嫌悪感をもっていることがひしひしと伝わってきた。
「“あなただから”じゃないんです。テレビだとか、ネットだとか、そういう類のものはみんなお断りしているから」
レコードを変え終えた店主は、カウンターに戻ってきて私に言った。店内にはまたクラシックが響き渡ったが、店主はまだ顔をしかめたままだった。
私はショックだった。取材を断られたことに対してじゃない。それも多少はあったが、そんなことは想定内だ。それよりも、私が「ロック」を言った瞬間に店主の顔つきが明らかに変わったことがショックだった。
私がもし、ロックではなく、クラシック音楽をやっている、と言っていたら、店主はまた違う顔つきをしたのだろうか。
しかし、考えてみれば私だって、これっぽっちもクラシックの世界を知らない。もちろん、クラシック音楽を毛嫌いしているわけではない。しかし、知らないクラシック音楽の世界のことを誰かに四の五の言わせず話されたりしたら、同じように顔をしかめるかもしれない。
畑違いの人と上手くわかり合えない、または誤解しているケースはよく起こっていることだろうと思う。自分も、“知らない”という誤解や偏見等で、無意識に誰かを傷つけていることがあるかもしれない。
今回のことは、私が普段、ロックやパンク、バンド、アイドル、そういったものが肯定される世界でしか生きていなかった分、自分の中で衝撃が大きかった。
普段、“BiSH”、“モモコグミカンパニー”が通じる世界で生きているから、その感覚がマヒしていたのかもしれない。
SNSでも、仕事場でも、フォロワーは自分のことを知っていて、BiSHに対して理解のある人ばかりだ。だから、「パンクロックなんて」だったり、「お前のことなんて知らない」なんて言われることはない。そういう意味で、私の日常は受け入れられる、と楽天的な錯覚をしていたのだろう。
だけど、きっとこれが現実。
学校に行きたくないという生徒に対し、「学校だけが世界の全てじゃない、世の中はもっと広いんだ」という類の助言を聞いたことがあるが、逆に居心地の良い世界に対しても同じことが言える。本当に世の中は広い。
居心地のいい世界狭さを、身をもって教えられた気がする。
だから、私は今、「ありがとうマスター!」と大声で叫びたいのである。