ちょっと長めのひとりごと ちょっと長めのひとりごと

年齢非公開

 自分の顔も年齢も本当はよくわからない。
 私は、結構ずっとこんなかんじだ。
 モモコグミカンパニーとしては、グループ時代から年齢非公開だが、年齢非公開の分際で毎年公に祝われるとき、どんな顔をしていいのかもよくわからない。

 いつまでもアイドルを名乗れるといった理由もあるのか、私のように年齢を公開していないタレントは多いだろう。しかし、アイドルに年齢制限なんてないと言いつつ、年齢非公開しているのは少し矛盾しているとも思う。

 グループ時代から公開するタイミングを見失いながらも、なお非公開にしている私だが、その理由は、特に若く見られたいとか、そういう気持ちよりも、年齢を出すと、「この年齢でこの程度か」「この年齢でこんなことしてんのか」と途端に思われる気がするからだ。
 逆に、この年齢ですごいなと、評価の上がることもあるかもしれないが、仕事にかかわらず、プライベートにおいてもそこに世間の尺度が現れる。どちらにせよ、窮屈に感じるのだ。

 とは言いつつ、自分の名前の隣に(〇〇)と数字がつくのもいいなと、考えたこともある。一気にモモコグミカンパニーに現実味が増すだろう。だけど、残念ながら私は芸名の隣に数字を背負う姿に憧れながらも、胸を張れる自信はない。
 自分なりには生きていても、世間様に頷かれるような、“この年齢の正解”を生きれているかはわからない。というか、頷かれるような平坦なルートを生きていたくもない。

 私自身、この年齢だからこう生きるべきとか、そういうのも見つけられていない。子供のころ、なんとなく立てていた人生計画は、ことごとく崩れてしまっているので今更考えたくもない。

 そもそも、型にハマるのが大の苦手だ。
 今まで生きてきて、そのことは自分が一番よくわかっている。
 それなのに、たまにその型に自ら自分をねじ込んでやっぱりハマらなかったな……と落胆することがある。
 世間から少しはみ出ていると、たまに寂しくなったり、不安になったりするからだ。
 自分でもコスパの悪い行動だと思う。
 しかし、そんな落胆の後にやっとはじめて私は自らの歪な形をまた少し知ることができるのだ。

 今までの私の人生を一言で表すと「精一杯」という言葉が似合う。
 一つ一つの瞬間、自分の歩む現実に真剣な眼差しを向けて生きてきたと同時に、かなり振り回されて生きてきた。
 きっとそのせいで、あまり余裕のない人間だった。
 自分が生きるのだけで結構大変だったりするから、人のおかげだと思うことも、人に何かをしてあげたいという感謝や恩の気持ちさえ足りていなかったであろう。

 去年、独立してからテーマは「自分で自分を裏切る」と「越境」であった。
 「こうなるだろう」と、小賢しく未来を予想する自分に反して生きること。そして、自分の置かれたジャンルを超えて生きること。
 というか、今までだってそんな生き方しかできなかった気もするけれど。

 自分の見てきたものをなぞるよりも、想像もつかなかった景色に目を輝かせていきたい。

 ただ、人は自分の手の伸びる範囲でしか現実を生きられない。羨ましいあの人だって、あの人が手を伸ばした範囲で生きているのだ。だけど、その手を伸ばすほどの余裕もなかったかもしれない。
 それでも最近は、「許せない……!」と子供のように固く握り締めていた拳を少しずつ緩められてきた気もする。
 その拳を緩めて初めて、私は自由になれると思う。
 その手を私がどこへ伸ばすかも、誰と手を繋ぐかも自由なのだ。

 そんなこと言いつつも、また今年も誕生日がきた。
 年齢の区切りがついても、何かが変わるわけでもなく、だらだら昨日の続きの今日の延長線でずっと生きてしまっている。これでいいのかな。
 だけど、生まれてからずっとそうだったから、これでいいのかもしれない。

 とりあえず、まだ私には名前の横に数字をつける余裕はないらしい。

 それはともかく、ハッピーバースディ、自分。