ちょっと長めのひとりごと ちょっと長めのひとりごと

ネガティブに救われる

 先日、仕事から自宅に帰りテレビをつけると、ちょうどR-1グランプリの決勝が行われていた。R-1グランプリと言えば、ピン芸人の頂点を決める戦いであり、今年の最終決戦はZAZYさんとお見送り芸人しんいちさんの一騎打ちだった。どちらもR-1出場資格である芸歴10年以内のラストイヤーということで、芸人人生を懸けるような熱い戦いであるのが画面越しでも伝わってきた。
 最終決戦ではまず、ZAZYさんが独特なリズムネタを披露した。ネタの終盤で、彼の幼少期から現在に至るまでの写真を小田和正さんの『言葉にできない』に合わせて紙芝居のようにめくった。金髪のロングヘアにピンクの衣装に身を包む強烈な彼の今の見た目は、芸人人生を送っていなかったら全く違うものになっていたのだろうと、私は自分の人生も重ね合わせ笑いながら観た。次のお見送り芸人しんいちさんのネタもZAZYさんとはまた違う面白さがあり、どちらが勝ってもおかしくない戦いだし、結果がどちらであっても誰も文句は言えないだろうと思った。が、私は今回ZAZYさんが優勝ではないかと予想していた。理由は、彼は去年もR-1の決勝に進んでいたが、今年は背中に黄金の羽をつけていたり、パソコンを使った演出もレベルアップしていたからだ。逆にこんなにいつもよりも気合いの入った衣装、演出をしているのに優勝しなかったら自分がZAZYさんの立場ならひどく落ち込むだろうと思いつつ、一緒に息をのんで決勝の行方を見守った。しかし、結果はお見送り芸人しんいちさんの優勝であった。
 私はますますZAZYさんの行く末が気になり、番組終了後彼のSNSを開いた。そこには、金の紙吹雪のおこぼれを眼鏡のレンズの内側に付けた彼の自撮り写真が“最悪”という二文字と共に投稿されていた。
 私は、その投稿を見てZAZYさんのことを優勝したお見送り芸人しんいちさんに負けず劣らずかっこいいと思った。きっと敗者特有の哀愁が漂っているものだと思っていたが、そんなものを彼の投稿から、惨めさすら微塵も感じなかったのだ。

「優勝」は、まさに“最高”の瞬間だ。祝福され、自分のためだけに金の紙吹雪が放たれる。華々しく希望に満ち溢れたものであり、今までの人生を肯定された気分になるだろう。それに比べ「敗北」は、自分自身でその結果を受け入れ、折り合いをつけながら、その“最悪”の瞬間を抱えたまま、また地道に歩いていかなくてはいけない。自分を負かした相手のために放たれた紙吹雪のおこぼれをいただくのはどんな“最悪”な心地がするのだろう。もちろんその舞台に立っていない私には、想像することしかできない。
 同じ場所にいながら、明暗がはっきり分かれたように見える結果発表だったが、今回の決勝の2人を見て、“最高”も“最悪”も同じように価値のあるものなのだと思った。どちらも今までの人生で積み上げてきたものがあるから、この人生に懸けてきた思いがあるからこそ実感できるものだからだ。
 この世界に“負け”があって本当に良かった。私は胸を撫でおろしていた。ZAZYさんが決勝で敗れてしまったことは残念であったが、私はその“最悪”なかっこいい姿に救われた気がした。とにかく、なにかに真剣に生きていれば、“最高”か“最悪”どちらかは感じることができるということだ。
 こんな風にネガティブに救われることがある。「生きるのだ!」よりも、「いざとなったら死んでもいいんだぞ!」という言葉を掛けられた方が、活力が湧き上がるし気が楽になるから不思議だ。最悪な気分のときにしか感情移入できない曲があるように、最高の景色だけがこの世の価値ではないのだろう。
 最高にかっこよく勝てなくても、最高にかっこよく負ければいい、そこには同じくらいの価値がある。何かに人生を懸けることに恐れる必要なんてないのかもしれない。