ちょっと長めのひとりごと ちょっと長めのひとりごと

何はともあれ、何はなくとも

 私たちの人生は、一瞬の、今この時の、この日の積み重ね。
 その時に起きた出来事がたとえ「悪」だったとしても、長い目で見ればそれは悪いことではなくむしろ良い兆候だったり、感謝すべきことになる可能性もある。

 自分にとって良いことがあったから人に優しくする、とか、逆に何か自分にとって都合の悪いことがあったから人の幸せを喜べなかったり、不機嫌な態度を取ったり、そういうふうに生きていくのは簡単だ。
 気分がいい時に、周囲に優しくすることは結果、優しくできているのだからいいのでは?確かに、表面上は優しくなれていて問題ないのかもしれない。だけど、そんなことをしても結果つけがまわって一番疲れるのは自分だと思う。

 物事に左右されないように中立的な自分を見失わずにいよう。
 そんなことは、一見人として当たり前のことのようだが、私はとても難しいことだといつも感じている。周りに人がいても、一人でいても。

 “今”はコロコロと形を変えて、数秒前のものもどんどんと消え去っていく。だからこそ、そんな今に振り回されないようにこの言葉を自分の中で唱えているのだ。
「何はともあれ、何はなくとも」

 気分が落ち込むことがあったときは、
「何はともあれ」精神。
 例えば、
・テストで良い点数取れなかったけど、
 何はともあれ、慰めてくれる友達がいた!
・行きたい学校にいけなかったけど、
 他の学校で今までの自分では予想できなかった新鮮な日々を送れるだろうな、
・恥をかいたけど、
 身近な人が笑ってくれて、周りの空気が良くなったな。
・周りに迷惑をかけたけど、
 もう自分を偽らなくて済んだ。
とか。

 逆に、つまらないな、何もいいことがないな、そんな時に考えることは、
「何はなくとも」精神。
 例えば、
・特に面白いことはないけど、
 何はなくとも今日健康に生きていて、美味しいものが食べられた!
 好きな服を着れた!
 朝ちゃんと起きれた!
とか、そんなことに無理やりでも目を向けること。
 毎日に飽き飽きしたり、一辺倒で価値を感じられなくなった時ほど、変わらないものに目を向ける。愛をもち、感謝をすること。

 自分の触れ合う世界を守ることは、自分自身を守ることでもある。
 どうしても自暴自棄になってしまったり、世界を、自分を傷つけてしまう時があっても仕方ない。
 目紛しい一時期の刺激とか、喜び、悲しみとかそういうものばかりに目移りせずにしっかり見つめていたい。
 私の人生には生まれた時からずっと変わらない価値があって、それは何かによって揺らぐものではないと肝に命じて忘れたくない。
 だから、心の片隅にいつも置いておこう。
 何はともあれ、何はなくとも。