ちょっと長めのひとりごと ちょっと長めのひとりごと

なんでもできる

「ももこちゃんなんて、今からなんでもできるね。いいなぁ」
 

 学生時代、こんな風に大人たちからよく言われたことを覚えている。
 でも、当時の私はこの言葉に納得がいかなかった。
 確かにあなたたちより私は歳は若いかもしれない。けれどその大人たちの言うようにやろうと思ったって「なんでも」なんてできない。むしろ、なにもできなくて困っている。どうして大人は「なんでもできる」なんて言うのだろう。そんな風に思っていた。
 実際、将来やりたいことは沢山思いついた。だけど、肝心なそれに見合う覚悟とか、度胸、スキル、知識、そういったものが自分には欠けているように思っていた。行きたい場所に手を伸ばしてみても、現実と理想のギャップに気が付き落胆するばかり。そもそも、将来のために今何をすればいいのか、そんなこともさっぱり分からなかった。
 大人たちから掛けられる「なんでもできる」は私を焦らせていた。顔を上げ、真正面に向き合うほど、自分のだめなところばかり目につく。自分自身に納得できないままもどかしい思いをして、私は「なんでもできる」時期を過ごしていた。

 そして、今年もまたBiSHに入って何度目かの誕生日を迎える。気付けば「なんでもできるね」と言っていた大人側の仲間入りをしている。
 考えてみれば「なんでもできるね」と言われていた頃より、今の自分の方ができることが多くなったし、生きやすくなっている。浮き足立っていたあの頃よりも、今の方が誰の真似もせずに自分らしくいれている気もする。今なら、なにもできなかった頃、もがいてつけてしまった古傷にもそっと触れて確かめることもできる。
 自分のことを“大人”と辛うじて言える今、私は自分より若い世代に、「なんでもできるね」なんて声を掛けようとは思わない。もやもやした時期を潜り抜け、いろんなことが見えてくるようになった今の方が昔よりは“なんでもできる”と実感しているからだ。

 では、どうして大人たちは、当時の私に「なんでもできる」なんて言ったのだろうか。
 彼らは、大人になった現在の自分をなにかのせいにしたかったのかもしれないと思った。
 もしそうだとして、その気持ちも少しはわかる。私もいろんなものから逃げたくなるし、月日を重ねていくごとに、後ろばかり振り返りたくなる。
 けれど、大人たちに「戻りたい」と羨ましがられた、あの頃と同じように私たちはいつだって譲れない今を生きているはずだ。
「昔に戻って、やり直したい」と指を咥えているよりも、「昔よりも今の方がなんだってできる。頑張れ若僧、ここまでたどり着け!」くらい言ってやれる方がかっこいいし、私もこれから月日を重ねるごとにできればそうなっていきたいと思う。

 そして、今私の目の前には「おめでとう」と声をかけてくれる沢山のファンの方々がいる。たくさんの人に祝われるたび、おめでとうモモコグミカンパニー、たくさんの人に祝われてよかったね、とどこか客観視している自分もいる。
 たくさんの人に祝われることは普通じゃない。誰かに特別に思ってもらえることは普通のことじゃない。BiSHのモモコグミカンパニーが永遠ではないのと同じように、今みたいに熱量を持ってステージに立つ自分の姿を応援してくれているファンもいつまでも身近にいるものではない。そんな今をひしひしと感じている。
 それは同時に私のことを少しでも糧にして、今を一緒に戦ってくれている人がたくさんいるということかもしれない。なんて幸せなことだろうと思う。
 周りに恵まれている今だからこそ、私もそこに甘えずに足元を見失わずに自分なりに戦っていきたいと感じている。どんな未来にも言い訳させる隙がないくらい今と向き合っていきたい。
 そして、まだまだ未熟な今の自分にもいつか感謝できるくらい、もっともっと、大人にならないとな、と思うのだ。