ちょっと長めのひとりごと ちょっと長めのひとりごと

悲しくなるからやめなさい

「女の子は月を見ると悲しくなるからやめなさい」

 小学生のころ、母親が習い事の帰り道に月を指さした私にこう言ったのを覚えている。冬の真っ暗な家までの道のりで、その日の月は街灯よりも強く、こうこう光輝いていた。小学生の私は悲しくなんてなりたくなかったから、母親の言葉を信じ、それから歳を重ねていっても、なるべく月を視界に入れないように意識するようになった。(その反動か、私は大人になって普段から月を意識することが多い。月齢カレンダーを待ち受けにしていた時期もある)
 しかし、今になってふと思う、どうして母は私に月を見るなと言ったのだろう。

 今まで、その理由を聞いたことはなかった。そこで、この機会にインターネットで検索して調べてみた。すると、女性が月を見てはいけないと言われているのには、かぐや姫の昔話に由来する「月に女性が連れていかれてしまう」という理由や、「女性が暗い夜道を歩かないように」という警告の意味もあるようだ。
 調べている最中、私はそこに月の満ち欠けや狼男のようにもっと迷信的なものを期待していた。しかし、そんな思惑は結果的にいいように裏切られてしまった。実際、もっと深く調べれば、そんな逸話もでてくるのかもしれないが、私が調べ中で一番しっくりきたのは「女性が暗い夜道を歩かないように」という警告の意味を含むものだった。確かに、月を視界に入れないためには、夜出歩かないのが一番だろう。
 この警告の意味をくみ取ると、月を見ると「(あなたが)悲しくなるからやめなさい」というよりも、「(あなたを大切に思う私が)悲しくなるからやめなさい」という意図が強いのではないかと想像する。そう考えるとこの言葉は、都市伝説のようなイメージから、一気に温かみのある言葉に思えてくる。
 しかし当時、母はそこまで考えて私に月を見るなと言ったわけではないだろう。そんな隠喩を使わず、母は「夜出歩くな」とはっきり言うはずだ。母も、誰かに「女の子は月を見ると悲しくなるからやめなさい」と子供のころに言われたことがあるのかもしれない。

 先日、夜の22時過ぎに関東で大きな地震があった。そのときも母からまっさきに「本棚落ちてこなかった?」というメッセージが届いた。私はそのメッセージに「大丈夫」と答えた。その後ツイッターを見ると、タイムラインにアーティストの方や、著名人の方の「地震大丈夫でしたか?」とフォロワーを気遣うメッセージで埋め尽くされていた。私も「オチツイテ!」とツイートしたが、それにはたくさんの人が答えてくれた。やはり、心身があわただしい時は、人とのつながりが一番の安心材料になるのだと思った。物理的に一人のときでも、誰かに想われているというだけでとても救われるのだ。
 日常では素直になれなかったり、当たり前のようになって、なかなか見えづらくなってしまう人の想いは、こんな非日常時に浮き彫りになる。しかし、その分、普段何気なく身近な大切な人に掛ける言葉には、“月の警告”のように素直な心が隠喩的にちりばめられているのだろう。「ちゃんと食べてるのか?」という一言でも、「仕事は順調?」とか「食べる元気はあるのか?」とか、精神面や経済面を気遣う意味合いも込められているはずだ。

 私は今日も帰り道に月を見た。そして、こう思う。なるべく、自分を悲しくさせないようにしよう。まあ、仮に悲しんでしまってもいい。それでも、そこに浸りすぎないようにしよう。自分のことを大切に思う誰かが、悲しまないように。