ちょっと長めのひとりごと ちょっと長めのひとりごと

悲劇

 タイトルにつられてしまったという皆さん、誠に申し訳ございません。これから書くことは、それほど悲劇とはいえないことかもしれません。

 ある日の夜、私は動画配信サービスで、ある邦画を観ていました。その映画は、小学生くらいのときに観て、とても感動した映画だったので、その配信サービス内で見つけたとき私はひとり声を出して喜ぶほどでした。この配信サービスがなければ、この映画を観ようと思い出すこともなかったかもしれません。感謝しました。
 私はさっそく、その映画を観始めました。一日では見終わらなかったので、二日掛けて観ることにしました。悲劇が起こったのは、その二日目のことです。
 物語は終盤に差し掛かり、いよいよエンドロールに切り替わりました。登場人物が一人ひとり紹介されるエンドロールを観ながら、どっぷりと余韻に浸っていました。この映画は小学生のときに観た以来だけど、やっぱり大好きな作品だなあ、ここのシーンが好きなんだよな、このエンディングで流れている曲も好きだなあ、と。
 しかし、まだエンディングの途中なのに、右下のあたりに文字が現れました。

『次のクレジット』

 私は不穏な気配を感じつつも、気にしないようにして、エンドロールに集中しようとしました。しかし、次の瞬間、またもや不穏な文字が。

『次のプロモーションまで5秒、4秒、、3秒』

 今度は、その数字がだんだんカウントされていきます。まだ、エンドロールは半分も終わっていません。私は焦りました。どうにかこのカウントを止めることはできないか。しかし、私の力量では、そのカウントを止めることはできず、とうとうエンドロールは途中のまま、画面は今人気のアニメのプロモーションに切り替わってしまいました。
 なんということでしょう。私にとって、エンドロールは映画の余韻に浸る大事な時間なのに、どうして最後まで観させてくれないのだと悲しくなりました。しかし、これも、他の作品を見させる、動画配信サービスの策略なのでしょう。

 私は、映画館でも、面白いと思った作品ほど、エンドロールの最後まで席を離れたくないタイプです。ひどいときは、エンドロールが終わって館内が明るくなり、清掃のスタッフの方が入ってきてもまだ残っています。(迷惑な客ですね……)映画が終わった後、エンドロールの文字をただ眺めている時間が好きなのです。
 何事も、余韻というのは私にとって大切なのかもしれません。

 余韻と言えば、私はそば湯が大好きです。もうそばを食べ終えたのに、それに加え、つゆをゆっくり味わう、これこそ余韻の良い使い方だと思います。
 逆に、焼き肉屋に言った後、会計時に出される飴玉やガムが嫌いです。もう少し、焼き肉の余韻を楽しませてほしいと思います。

 まあ、そんなことは置いといて、私はこの現象を、「悲劇のエンドロール」と呼ぶことにします。「悲劇のエンドロール」、ありそうでないような中々いいタイトルを思いついてしまいました。